2019/03/31

Leeのジーパン

ちょっと前のニュースなのですが、少し気になったニュースです。
「リーバイス再上場、650億円調達へ」と。

私は70年代からリーバイスのジーパン(太陽にほえろの時代ならいざ知らず、今はこう呼ばないのでしょうけど)一筋ではあります。
これは過去にも書きました
赤耳が無くなっても、後ろのポケットの黒糸補強が無くなっても、米国製でなくメキシコ製やエジプト製になっても基本的には501一筋。
一つ弊害があるとすると、ズボン(今はパンツとかボトムスと言わねばならないのかも)を履く際、ウエストの一番上のボタンを留めるという動作が「フィニッシュ」だと刷り込まれてしまっている事でしょうか。
ボタンフライの501の場合、下のボタンから順に上のボタンへと上がっていくのですが、最後に一番上のボタンを留める事はフィニッシュなのです。
しかし普通のチャック(ファスナー)付きのズボンの場合、チャックより先にウエストのボタンを掛けるのが普通だと思います。
するとその「フィニッシュ」だと身に染みている動作の後にどうしてもチャックを閉めるという動作を忘れてしまうのです。
度々「社会の窓が開いてますよ」と言われます。
この社会の窓という表現も今では死語なのだと思いますが、良い言葉だなぁと思うのです。

それはともかくリーバイスという会社が一旦創業者の手に戻り、再上場という形となった今後、その商品がどうなって行くのかというのは気になる所です。
先にも書いたように基本的には501一筋では来ましたが、年々落ちていく商品のレベルには正直言えば萎える思いがあったのです。
そんな思いもあり浮気して買ったジーパン(何と言うのでしょうかね、デニムパンツ?)があります。

















Leeの101Bというモデル。
私がリーバイスに出会う前、Leeを履いていた頃の70年代後半には201というモデルが殆どだったと思います。
当時の201はリーバイスと比べて股上が深く、腰骨でベルト無しで履けるリーバイスと異なり、ベルト使用を前提としたシルエットだったと思います。
当時はシャツインが当然でしたし、特にLeeの場合は右後ろの牛革製のパッチがベルトループにもなっている事もありまして、当然私もベルト使用。
このディテールが格好良かった。

















西部劇が好きだった事もあり、ウェスタン風の唐草模様みたいなカービングベルトを愛用し、このレザーパッチを通して着用していました。
この101B、やはり当時の201と同様の股上の深いシルエットです。
しかしこのモデル、当時は存在しなかったボタンフライ、つまり501と同じなのです。
これなら「開けっ放し」を防ぐことができます。

















このフロントのポケットに記されている品質表示、私には少々オーバースペックかも。
当時のアメリカ製はそれほどの高品質ではなかったと思うのです。
私の記憶では、当時のLeeの縫製は荒くて雑だったと記憶しています。
一方でLee特有のデニムの荒々しさは良い印象なのですから複雑です。
この101Bのデニムの風合いは当時(70年代)そのままと言っても良いのではないでしょうか。
なんとか再現しているのだとしてもこのLeeらしいデニムの風合いは素晴らしい、きっと良い風合いに色落ちすると思いますよ。
細かいところまで見てみますと、縫製やディテールに関しては本当に良くできています。
当時のアメリカ製ではこんなに綺麗に縫ってませんでしたよ。
後ろのポケットの内側のステッチの最下部、このように小さく三角に綺麗に縫ってあったかなぁ、アメリカ製の頃はディテールを見る事もなかったのかも。

















現在の日本製となったLeeは過去のアメリカ製のLeeらしいデニムの風合いに加えて、日本らしいきめ細かな配慮が備わっている感じがします。
これと比べて見ると現在のリーバイスのジーンズは悲しくなってしまいますね。
私が思うに、やはりEDWINが買収したというのが良かったのではないかと思うのです。
ただのアパレルメーカーではなくて、ジーンズを知り尽くした、ジーンズの価値を理解しているEDWINでなくてはこの風合いやディテールへの配慮は残せなかったのではないでしょうか。

どうしましょうか。
501一筋を止めて、501に移行する前に好きだったLeeにもう一度帰ろうか。

2019/03/24

ジレットセンサー

1990年頃から使っていますので、かれこれ30年程の付き合いとなるジレットのホルダー「センサー」です(石鹸カスで少々汚いですが)。

















当時、銀座かどこかを歩いていたら無料で配っていたので有難く頂いたものなのです。
無料で頂いたものとはいえ、使ってみたら私の必需品となり、先程も書いたように30年以上の付き合いとなったのです。

本当に気に入ったものですから、私の場合はそういう道具は死ぬまで使いたいと思ってしまうので予備も購入してしまいました。

















当時のパッケージに入ったまま保管してあります。
別にプレミアがつくと思っている訳ではありませんが、一本目のセンサーに不具合が起こった場合に備えてというだけなのです。
けれども不具合は全く起こらないので、こうして30年も当時のままの状態で。
写真では見えませんが、パッケージの右下には「MADE IN USA」「900円」と。

それ以前はT型剃刀ではなく電動シェーバーを使っており、BRAUNの製品を愛用していました。
BRAUNのデザインが好きでしたし、電動シェーバーで全く不便もありませんでした。
けれども無料で貰ってしまったジレットセンサー、このデザインが良かった。
私の好きだったBRAUNのデザイナー、ディーターラムスが関わっているのではないかと思っているのです。
プラスチック(おそらくABS)を両サイドからプレス成型の金属板(当初はアルミだと思っていましたが、ステンレスだと気づきました)で挟んだ本体。
基本は円筒形なのですが、ABS樹脂のリブ状突起が本体の向きを使用者に適切に伝えるように周到にデザインされています。
これは使ってみると明らかで、指に伝わるリブの位置が刃の方向を適切にイメージさせてくれるのです。
替え刃脱着用のボタンも同様に金属板プレスのカバーがなされています。
このシンプルながら非常に巧みに使用状況を考えられたデザインはなかなかありません。

因みにこれは私の記憶の中の情報なのですが、このジレットセンサーの純銀版(金属板プレス部品を純銀にしたもの)がティファニーで販売されていたと記憶しています。
値段は9000円位だったでしょうか、でも道具としては頻繁に磨いてやらなければならない銀よりもステンレスの方が良いですよね。

私自身センサー以降の剃刀を多数使用してみましたが、このホルダーを超えるものは未だかつて無いと思っています。
そもそもジレットだけでなくシックや貝印も含めてここまで美しいホルダーのデザインは無いと言って良いのではないでしょうか(主観です)。

上記の写真でも判るように、替刃は現在でもなんとか販売している「センサーエクセル」を使用しています(プラパーツがグレーで格好悪い)。
ジレットがマッハシンスリー(3枚刃)を発売した前後に、旧型となるセンサーにも3枚刃のセンサー3が登場しました。
ホルダーのデザインは全く持って駄目だったのですが、センサー3の替刃は非常に良かったのです。
私は愛用の古いセンサーホルダーにセンサー3の替刃があれば、一生安泰かと思ったのです。
まさに最高の道具だと。

けれども現在P&Gに買収されたジレットはセンサー3の替刃を止めました。
一応2枚刃のセンサーエクセルの替刃は継続してくれてますが。
すると上記の写真のように替刃だけグレーのプラとなるのです。

実は新しいホルダーを購入してみました。
FUSIONの限定版とのこと。

















ジレットが5枚刃の「FUSION」に移行しているのは、勿論判ってはいます。
私も実際に買ってますし、使ってみました。
センサーに戻ってしまう理由は二つ、ホルダーのデザイン(使用感も含め)と替刃の値段です。

私が買ったFUSIONのホルダーと今回の限定版のホルダー。

















FUSIONの場合バージョンがいくつもあったのですが、右側の通常版も出来るだけシンプルな色とデザインを求めて買ったもの。
オレンジやブルーのプラ部品が出来るだけ少ない奴を。
それでも「使いたい」と思うデザインではない。
今回の限定版は、ある意味潔いデザインとなってはいます。
右よりはマシですから、必要な道具となれば使うかも。

5枚刃のFUSIONは確かに良いと思うところもあるのですが、たかが2枚刃(センサー3では3枚刃)のセンサーの上位互換とは思えないのです。
言ってみれば「オーバースペック」でしょうか。
FUSIONの替刃は、30年前のセンサーの替刃の価格の3倍以上ですからね。
消耗品である替刃の単価を上げて行きたいP&Gさんの思惑も判りますよ。

商品としてという観点からすると、ジレット(P&G)さんにはセンサーの良さを再認識していただければと願います。
P&Gさんがジレットを買収したのが2007年ですから、買収以前の製品の価値が判るかどうかというのも微妙だとは思いますが。

2019/03/23

春の花

我が家の二輪草の花が咲きました。

















もちろん、まだ一輪目ですので、これから数日後に二輪目の蕾ができて来るはずです。

そして花韮も。

















これは紫なのですが、白い花を咲かせる株も蕾を付けてます。
数日後には咲いてくれるでしょう。
ハナニラは元々は園芸用に輸入された帰化植物らしいのですが、近所のお庭にも沢山咲いています。
とにかく繁殖力が強いらしく、近所に咲いているものも恐らく植えたものではなく、勝手に生えてきたのではないでしょうか。
しかし初春のこの季節、白から紫の花が地面に咲き乱れる様は綺麗です。

善福寺公園やら近所を歩くと、春の花が一斉に咲き出しています。
カメラマクロレンズを付けて出かけました。
こういう時はバッテリーグリップも外して軽量に。

















善福寺公園に咲いていたスズランスイセン。

















こちらもポツンと咲いていた花なのですが、私の知らない花。
葉っぱは花韮と似たニラ系なのですが、一方に向かって群生した花を付けています。
群生した花という点ではハタケニラと似ていますが、季節が異なりますし。
葱坊主のような包みから花が咲くという点からニラの仲間で間違いないとは思うのですが。
























善福寺の近くの空地(売地)で白い花韮が咲き乱れていました。

















まだ咲き始めの状態でこれなので、どんどん新たな蕾が伸びてくると白い絨毯のようになるのでしょう。
この土地も売れて家が建ってしまうのでしょうけれど。

2019/03/06

フェイクニュース

善福寺公園の梅が綺麗です。


















こうやって写真も付けて投稿してもニュースにはなりませんね。

最近テレビでも「フェイクニュース」という言葉が聞こえるようになりました。
仮に池上さんが「今は誰もがSNS等を使って情報を発信できる時代になりました。ネットの中にはフェイクニュースに溢れています」なんて言って、出演者が「なるほど」と頷いたりすると、視聴者は「マジかよインターネッツ最低だな」などと思ってしまうはず。

ただ、この「フェイクニュース」という言葉の使い方に違和感が。
確かにネット上には真実ではない情報が山ほど存在します。
それらをフェイクニュースというのかというと、そうではありません。
そもそもニュースって何でしょう。

つい最近、飲食店のアルバイトが動画をアップして炎上しました。
確かに誰もが情報を発信できるようになったのは確かです。
もちろんこれはフェイクでなく事実なのですが、ニュースとも呼びません。
言うなればネタです。
この炎上した事実と飲食店側の会見内容を併せてメディアが報道した場合、初めてここで「ニュース」となります。

先の「梅が綺麗です」と私が発信したのもニュースにはなり得ません。
では私のような一般人ではなく、権威と信用のある方が発信すればニュースと呼べるか?
昔アル・ゴア氏が、ある説を著書という形で発信しましたが、それ自体はニュースとは呼べません。
この著書をメディアが取り上げ、報道して初めてニュースとなります。
とすると、テレビ(メディア)の言うネット上の「フェイクニュース」とは誰が発信しているものなのでしょうか。

もともとフェイクニュースという言葉とは某新聞社がやらかした「KY事件」のような「誤(?)報道」の事を指しています。
「メディアが発信した嘘の情報」以外の嘘の情報はフェイクニュースとは呼ばないのです。
もちろん、敢えてネット上の「嘘の情報」と「フェイクニュース」という言葉を混同させたいという意図があって「フェイクニュース」という言葉を使用しているのしょうけど。

さて、つい最近ハフィントンポストの発したこちらのニュース
上記のKY事件の時代でしたらいざしらず、さすがに「インターネッツ」の時代。
あっという間に殆どの全貌が明らかになってしまったようです。
最初から「何か変」という疑問は感じましたが。
さすがに中学生二年生が「記者会幹事社が当番で・・・」と業界用語でツィートするっていう設定に無理があるような。
確かに「あんた中学じゃなかった?」と突っ込みたくなりますね。
それ以前に菅官房長官の記者会見に着眼する中学生というのも・・・。

まだ決着は着いていないようですが、仮にそうであるならばこの「ニュース」の最悪な点はもちろん年令を詐称して子供(でなく子ども)の立場を利用したことにもありますが、それ以上に「いじめ」という、いかにも中学生の視点っぽい社会問題を悪用している事。
これは現実に「いじめ」を現在、あるいは過去に体験している方に対しての配慮など全くないどころか、主義主張を通す為ならば弱者の立場を利用するのも厭わない、いや積極的に利用しようという考えが存在する点です。

ハフポスト日本版、そう言えば朝日新聞との合弁だったような。
またKYやっているというか、懲りない、変わるはずがないということのようです。

2019/03/02

山下達郎のComeAlong3

久しぶりに新しいCDを買ってしまいました。
それも3枚も。

















山下達郎の「Come Along」というアルバムです。
実際はアルバムではなくて、一番左の「Come Along」は1980年に販促用のLPとして、本来は非売品で作られたもの。
曲の間に小林克哉氏のDJが入っており、まさにラジオで聞いているような雰囲気なのです。
当時レコード店で反響があり、山下氏もカセットテープのみの販売を承諾したとのこと。
色々と経緯はあったのでしょうが「Come Along」と「Come Along2」そして「Come Along3」の3枚がこの世に出ることになったのです。
最後の「Come Along3」だけは本人の監修のもと制作されたもの、前の2枚は当時は監修していなかったのでしょうけれどもCDとして再販するにあたり出来る限りの監修はされたようです。

いずれにしても、「For You(1982)」と同じく鈴木英人氏のアートワーク、小林克哉氏のDJ(一番最初の「Come Along」には竹内まりやも参加)など、CDとして持っておきたいと思ってしまいました。

そもそも、こんなアルバムが出ている事は知らなかったのです。
最近、山下達郎のカッティング(ギターの奏法)をやりたくなってしまい、amazonで本人監修のバンドスコアを購入してしまったのです。

















これは本当に良い楽譜でした。
amazonで購入するとその関連商品がいちいちお勧めされる訳ですが、その情報でこれらのCDの存在を知ってしまったのです(そして買ってしまいました)。
完全にamazonの手中に嵌ってしまっていますね。

そしてカッティングはというと、これがなかなか上手く弾けないです。
力が入ってしまっているのでしょう、ピックも割れます。

















まぁ、気長にやって行こうと思います。