2020/12/18

来年の仕事に備えて

 今年も残すところ2週間を過ぎました。

まだ仕事は残ってはいるのですが、来年に向けての準備も進めています。

この年末にベクターワークス2020を購入しました。

約30諭吉の高額なソフトなのですが、私の最も使用頻度の高いソフトだということも確かです。

これまで使っていたベクターワークス2015はまだまだ使えるのです。

しかしV2020はV2015にバージョンダウン書き出しが可能な最後のバージョン。

来年の1月に発売予定のV2021ではV2015に書き出しができなくなってしまいます。


















現在メインで使用しているマシンLenovoのW541はWindows7。
このV2020では一応「非対応」になっていますね。

来年からはマシンも変えようと思っていまして、既に用意してます。
DELLのPrecision7710のモバイルワークステーション(中古です)。
もちろんWindows10Proです。


















これまで使ってきたLenovoのW541の15.6インチに対して17.3インチ画面に。
CPUはCore i7–4810MQ2.8GHzからCore i7–6820HQクアッドコア2.7GHz、3.6GHzターボへ。
グラフィックボードもNVIDIA Quadro K2100M に対してNvidia Quadro M3000Mに。
結構パワーアップしています。
メモリーは購入時点で16GB×2枚の32GBでした。
さらに16GB×2枚をキーボード裏のセカンダリーメモリースロットに増設して64GBに。
W541も8GB×4枚の32GBにはしていたのですが。


















はっきり言って十分なスペックでしょう。

私の仕事環境をお話しすると、実は仕事部屋があるのです。
そしてそこにはデスクトップPCと24インチモニターがあるのですが、殆ど使っていない。
どこでも使えて無停電電源装置も必要の無いノート型のモバイルワークステーションというのは無敵とも思うのです。
来年からは15.6インチから17.3インチ画面になるので目にも優しいかも。

正直言うと、Lenovoのマシンのデザインの方が好きなのです。
これはIBM時代から使っていた事もあるとは思います。
DELLのマシンはサラリーマン時代の時以来ですから20年ぶりくらい。
けれども仕事用マシンですから、基本的には性能ですからね。

来年、良い仕事が出来ますように。

2020/11/28

ウェイファーラーの眼鏡 その3

 またウェイファーラーを買いました。

もちろん眼鏡にする為。

実は前回書いたウェイファーラーの老眼鏡を紛失してしまいました。

マット仕上のフレームが好みでしたし、遠近両用で更にはフォトクロミックのレンズ(高かった)を入れていたのに勿体無い。

今回も「マットハバナ(鼈甲色でマット仕上)」のフレームを購入しました。

ただ、眼鏡フレームとしては売っていなかったので、サングラスを購入(レンズは勿体無いことに捨ててしまうのですが)。

そして今回はシャツの胸ポケットに収まるようにフォールディングウェイファーラーにしてみました。

















ウェイファーラーがボシュロム製だった80年代もフォールディングウェイファーラーはイタリア製でした。
今も同じ製造工場で作っているのかもしれません。

















このサイズになるのが嬉しいですよね。
付属のケースはマグネット仕様のフラップで使用感は良いものの、合皮感が溢れてます。

















サングラスのレンズを老眼鏡のレンズに入替えました。
吉祥寺の西友の中の和真さんにお願いしました。
遠近両用ではなく、近く専用にしています。










本当は傷が付きにくいガラスレンズを希望したのですが、サイズと度の関係でプラスチックレンズになりました。

失くさないようにしなければ。


2020/09/19

BOSS KATANA-AIR

 GO-TOなんて言われてますけど、都民は除外です。
家で出来る事でなんとかせねば。
という訳で、仕方なくこんな物を購入しなければならなかったのです。

















BOSS(Roland)のKATANA-AIRのアンプです。
孤独にギターを奏でる(練習する)道具。

独りでギターで遊ぶのであれば、殆ど余計なものは要らない。
エフェクトも一通り内蔵しているのですから。

















最大の利点は「Air」です。

















シールドケーブルでギターとアンプを繋がなくても無線で繋がってしまう。
ギター側に無線トランスミッターを差すだけ。
無線による遅延(レイテンシー)は皆無と言って良いでしょう。
トランスミッターは震動を感知して電源ON。
つまりギターを手に取ると瞬時に音がなる、これまでエレキギターの世界では考えられなかった「気楽さ」です。

私は下手糞なので音が近所に聞こえないように(上手下手はともかく、そもそも迷惑だということもありますが)ヘッドフォン(イヤフォン)でギターを弾いて(鳴らして)いました。
これを可能にしてくれたのが「Amplug」という小さなデバイスです。
もちろんヘッドフォン使用が前提のデバイスです。

















独りで鳴らすには、今でも最高だと思っています。

一方、KATANA-AIRはヘッドフォン(イヤフォン)から開放されますし、この世界は素晴らしい。
よくぞ作ってくれました。

2020/08/30

茗荷

 我が家の駐車場の脇にある猫の額ほどの植込みには茗荷が生えています。
八月ころからでしょうか、地中から花蕾(からい)が生えて来るのです。














左の方は花が咲いてしまったもの。
内部の花の根元が茶色になってしまっていたりする事はありますが、食べても大丈夫です。
花の色は僅かに黄みがかった白色。
先日のアブラゼミの羽化の色ではないですが、弱々しげな美しさがあります。

茗荷の花(蕾)か生えてくるのは九月中くらいでしょうか。
年中生えてくれると嬉しいのですけれど、自然界では無理なこと。

野菜売場に通年で置いてある茗荷は、当然ハウス栽培です。
しかも現在は水耕(養液)栽培だそうですね。
土壌で育てるのではなく、ヤシガラで培地をつくり養液を流しながら育てるそうです。
昼夜を人工的に一日2回生じさせるなどして生育を促すという方法も摂られているそうです。

茗荷に限らず現在は水耕栽培が様々な作物に応用されており、これを「人工的だ」と感じる事も確かにあります。
しかし水耕栽培の決定的な利点は連作障害が無いことではないでしょうか。
畑での栽培ではある作物を育てると、翌年はその作物に必要な栄養素が少なくなってしまう。
ですから、その畑では別の作物を育てる事になります。
昔は一般的だった「焼畑農業」がその最大の帰結方法だったのでしょう。
時代が進み「施肥」によってそれを克服しようとしていったのでしょうね。

ところで我が国の主要穀物である「稲」、こちらは連作が普通です。
稲という植物が連作に強い面もあるかもしれませんが、大きな要因は「水田」なのではないかと。

根腐れに強いという稲の性質もあり、田んぼに水を張っておけるというのは大きな利点です。
山からの引いてくる川の水にはリンやカリウムを代表とする必要な養分が含まれているでしょうし、それが常時供給されるシステムですから、基本的には土が痩せていく事はない。
水田というシステムが、まさに水耕栽培であるという事です。

私は農業従事者ではないですし、色々と困難なことは実際に取り組んでいる方々の苦労は判りません。
けれども水耕栽培というのは今後の農業の在り方を変えていく可能性がありそうです。
「米を水田で作る」ようになった事によるエポックメイキングな発展が潜んでいるかも。

2020/08/22

山の井60

 近所のクイーンズ伊勢丹で山の井60を買ってきました。



















以前も書いた気がしましたが、このときは70でしたね。





















精米歩合60ということは、純米吟醸を名乗っても良いはずですが、そういった記載は無し。
「感じるままに飲んでください。」という。
一貫してますね。


2020/08/17

蝉の羽化

 夜、窓の外のベランダに面した外壁に虫が居るのを発見。
アブラゼミが羽化しているのでした。






























完全に脱皮しました。
あとは体内に血液が循環して羽を伸ばし、硬化するのみ。

ストロボの使用をやめてカメラの感度を上げました。
ベランダ照明の電球色になっちゃってます。

人によって見方は異なるとは思いますが、私は美しいと思ってしまいます。

暫くするとアブラゼミの色になってしまいます。
ここまで30分位だったでしょうか。

もう少ししたら、何処かへ飛んでいってしまうでしょう。





















我が家には小さな中庭があり、そこにはヒメシャラの木が植えてあります。
今日ここで羽化したアブラゼミは何年か前(最近の研究ではアブラゼミの場合2~4年との事)に幹に残された卵から孵化し、この中庭の地中で今日までヒメシャラの根から樹液を吸って育ってきたはず。
最後の人(蝉)生を謳歌し
て欲しいものです。

2020/08/16

今日も

 今日も善福寺公園で読書しています。

つまり、やるべき仕事が無いという事なのですよね。

暑いことを除けば屋外での、特に緑のある場所での読書は気持ちが良い。
暑いことは事実なのですが、木陰のベンチに座ると風を感じますし、日光を直接受けるのでなければそれほど暑くはないのです。
熱交換器で冷やされた空気の流れではなくとも、単に空気が絶えず動いている事、それにさえ「涼しさ」というのは感じられるものです。

読んでいる時間は本の中に入っている、けれども老眼鏡を外して辺りを見渡すとさっきまでの世界と異なる世界です。
これもまた幸福だなぁ(加山雄三じゃないですけど少々オーバーか)と思うところ。

人工的な公園とは言え、クヌギの大木の根元辺りの僅かに樹液が染み出している個所に次から次へとやってくるオオスズメバチ。
この間までは未熟だったムクドリの雛たちも既に一人(鳥)前になっている。
オナガの雛は一人前のようでいて、まだ大人の一歩手前でしょうか。

仕事が無い、確かに今回の騒動の影響は計り知れません。
実際に「やらなければならない事=義務」が無いのですから。

このブログでも「仕事」というラベル(カテゴリー)でも述べているように、私は人様のお店(特に飲食店)の立上げのお手伝いをしています。
正確に言えば設計とデザイン(これって同意語なのでしょうけれど、日本語でのニュアンスは異なりますね)の領域でのお手伝いです。

人生を50年以上過ごしてきて、そして今公園で読書をしているわが身を客観的に見て思うこと。
今日も仕事(?)してるなぁ。
今だから思えることなのかもしれませんが、今日この時間も何かしらのインプットにはなる(はず)。
若い頃はこの状態を「怠惰」と思っていたと思います。

何かの為に一生懸命インプットに励む事も確かにあります。
学生時代でいうならば参考書を読みまくるみたいな。
どちらが良いとかの話しではありません。
私の仕事というのは「私のアウトプット」に期待する方に対して期待に沿えるアウトプットをする事です。
こんな私の「排泄物」に価値を見出してくれる一部の人達のために私の仕事の存在価値があります。

だとするならば、そのインプットは私が無理してインプットするもの(先の参考書読みまくり)のようなものでなく、私の気の赴くままに入ってくるインプットで良いかもしれない。
無理に知識武装することもなく自分の興味のままに知見を得るだけ。
そして自分と異なる領域を持っている人と知り合えども、それがお互いの領分であることを理解しつつ協業できるとするならば、自分があちらやそちらの領域の知見を持つ必要はありませんね。

















傍から見ると「今日もあの御主人、仕事もせず公園でグダグダしていましたよ」ということになるのでしょう。