9月20日の夕方、たまたま上野広小路から中央通りを歩いていました。
秋葉原に差し掛かると、なにやら賑やかでした。
ネットでその予定は見掛けていましたが、丁度安倍元首相の街頭演説の日だったようです。
応援として麻生太郎氏も登場した様子。
私のようにたまたま居合わせた人達も多かったと推測しますが、盛況のようでした。
そして昨日、安倍晋三氏が自民党総裁に決定しました。
一方で、一足先に民主党の代表は野田氏が続投することに決定しました。
こちらは実際に見てはいませんが、同様にネットでの情報によると民主党の代表者演説会の状況はひどかったという話も。
なんども「ネットでの情報」と書いてます。
新聞の購読を止めて何年になるでしょう。
きっかけは経済的な理由でした。
とにかく、固定費を少しでも削減したいということだったのです。
インターネット環境は業務上死守せねばならないものですし、「読む」必要があるのであればネット上で読めば事足りるだろうという判断で、ある意味「已む無く」でした。
「結果的」になのですが、これは「良い判断だった」と思っています。
ネット上には「あらゆるメディア」の「あらゆる意見」が散在しています。
しかも無料で。
当然です。
発信したい人がいるからこそ「情報」というものが存在するのですから。
ですからその「情報」には、いやでも発信する側が「意図」が入り込んでいます。
テレビであれ新聞雑誌であれ、これらも「編集された情報」ですから編集側の「意図」が加わっています。
そして、その「意図」は発する側によって様々になってしまうのですけれど、これらのメディアではその「様々な」発信元を比較することが難しい。
例えば、あるファッション誌を購読している人は、その雑誌の編集方向やセンスに共感して購読しているはずです。
業界人でもない限り、毎回他のあらゆるファッション誌を全て比較検討した上で購入する人は稀でしょう。
多くの人は、ある特定のお気に入りのファッション誌のみを購読しているはず。
少なからず偏りが生じても仕方がありません。
しかし「編集された情報」というならば、ネット上の情報にも同様に言える事です。
ただし、ネット上では「様々な」側からの情報を比較しながら自分でその情報の本質を探ることができます。
コスト的にも時間的にも圧倒的に容易だからです。
もちろん自分で探すという手間は生じます。
けれど前述のようなメディアから「様々な」情報を得るより、はるかに手軽なのです。
こうした情報の得方をしていると、例えばある一つのニュースに関してだけでもその側面や立場、そしてその意図が見えてきてしまいます。
自分自身がよく言われる「情弱」であった、ということも認めざるを得なくなってしまったのです。
そして月々数千円とは言え、「偏った情報」を得る為に無駄にお金を払ってきてしまったとも。
幸い我が国では大きな情報統制はされていません。
基本的にはあらゆる情報を得る事ができます。
ただし自分から探そうと思えばという条件で。
その中には「知らなければそれで幸せ」なことも多々存在するでしょう。
しかし受動的にいたがために、自分の意思とは別に、ある側に「意図」的に操作されているとしたら。
それは腹立たしい事だと思うのです。
ついでに怠惰であった自分自身に対しても。
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