先日吉祥寺駅で、ふと目に留まった看板。
学割ですか、携帯電話会社のようなプランですな。
若い層の購読者が増えるといいですね。
ところで常日頃思うことなのですが、新聞社って広告を掲載して広告料を取っているんですよね。
さらに購読者からも購読料を徴収するというビジネススタイル、メディアです。
一方、一部を除く放送局(ラジオを含め)は、基本的に広告料で運営されているメディア。
この違い、紙面という「物体」を作るというコストの結果なのでしょうか。
確かに紙面であれば視聴時間にとらわれる事もなく、「時間」に依存してしまう「放送」というメディアとは別の利点があります。
また「購読者数」というデータは、「視聴率」というデータよりも遥かに正確なデータですから、広告主にとってもメリットが多そうです。
けれどもその両者のメリットを兼ね備えたものが「インターネット」であるという事は疑いようがありません。
米国を代表する週刊誌「ニューズウィーク」が紙媒体での発行をやめ、最終号が今週から書店に並んでいる。今後は、デジタルのみで発刊を続ける。また、日本版は引き続き雑誌としても発行されるという。
1933年に創刊された同誌は、「タイム」と並んで世界中に知られてきた。しかし、広告収入や販売部数の減少に苦しみ、2年前にはわずか1ドルで経営権が売却された。
12月31日号の表紙は、ニューヨークにあった旧本社の白黒写真のうえに、「#LASTPRINTISSUE(最後の紙媒体号)」の文字がハッシュタグ(ツイッターで使われるキーワード)として印刷された。ティナ・ブラウン編集長は巻頭コラムで、新しいデジタル媒体を来年2月下旬までには公表するとしたうえで、「今後も質の高いジャーナリズムを維持する」と述べた。
(2012年12月27日 朝日新聞デジタル)
日本では継続して紙媒体での発行が行われるようですが、時間の問題のような気がします。
今のところ新聞各社の電子版は有料配信の方向です。
最近、電車の中で新聞を読んでいる人が少なくなった様に感じます。
購読層の年齢と購読できるIT機器の普及率を考えると、電子版の購読者数がトップなのは日経だと想像できます。
しかしどうでしょう、その多くはまだ紙媒体と併用している層だと思うのです。
まさに過渡期だとも言えます。
「情報化社会」などと言われて久しいですが、この言葉が叫ばれだしたのはいつ頃だったでしょうか。
電車内の液晶モニターに度々映し出される日経のCMがあります。
就職活動中の学生に先輩が「日経を読まなきゃ」と、確かに「昔」はこうだったなぁと思ってしまうのです。
その頃であれば、上記の朝日新聞「学割」は嬉しいプレゼントでしょうね。
価値があると思える情報に対しては、コストをかけても良いとは思っています。
しかし、情報に加えてジャーナリストの高尚な主張の作文を付録として付けているから「価値があるんだ!」と言われてもなぁ。
その主張というやつは、本当に同意できるのであれば「本」としては購入するかもしれないが、定期購読であり情報源である「新聞」では必要ないと思ってしまうのですよ。
ましてや「公共」放送などと言いながら、創作動画と、主張する解説員や有識者が出演して庸列な、いや知的な個人的見解をまくし立てる番組に対して、見たくも無いのに有無を言わさず「視聴料」を出せと言われてもね。
テレビとラジオと新聞や雑誌しか「情報」が無かった頃ならばともかく、もはやそんな情報が「公共」とは思えないですし「公共」とはなんぞや。
このブログ(個人的見解を書きまくり)と変わりません。
ただ、受像装置(テレビ)はDVDやBlu-rayの映画や撮影したVTRを見る為には依然として必要。
スクランブルして欲しい。
あくまでも「個人的」見解ですがね。
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