2011/06/18

真実とは

日本からパリ近郊の空港に空輸された静岡県産の緑茶の葉から欧州連合(EU)の許容基準の2倍を超える1キログラムあたり1038ベクレルの放射性セシウムが検出された(中日新聞)そうです。

原子力発電推進派であろうとなかろうと、今、日本に住む人達の共通の思いは「自分の身の回りから放射性物質がなくなって欲しい(もしくは、あの事故後も無い)事でしょう。
この思いは当たり前だと思いますし、私自身もそう思っています。
これは「思い」であって、真実ではないという事も確か。
しかし同じ思いを共有するグループの中にいると、これが「真実」と限りなく同化してしまうらしい。

「今回はたまたま悪条件が重なった」、とか「検査したサンプルの示した値がたまたま多かった」と思うかもしれません。
その可能性も当然あります。
しかし、そう信じ続けるのは、この思いを共有するグループ(日本もしくは静岡、もっと限定すれば静岡の茶葉生産者)の中だけになってしまう。
フランス側からすれば全量の1%でも基準外であれば、「静岡茶は汚染茶葉」として危険視するのは当然のこと。
もっと困るのは他県の茶葉も含めて「日本茶は汚染茶葉」という認識を世界中で定着させてしまう事のはず。
過去のBSE問題、毒入り餃子問題のときに私たちが取った行動や考え方を思い出せば容易に理解できるはずです。

この「思い」と「真実」が混同されてしまうというのは、多々ありますね。
「原子炉が破壊される確率は、ほぼゼロに近い」というのと「原子力発電所は安全である」というのは似ているようには見えますが同義ではありません。
この場合「安全である」というのは結果だけが示すことができる言葉であり、人間の口からは軽々と出せるはずのない言葉であるはず。
特にこの議論ですと「原子炉」と「原子力発電所」というのが混同されてしまっていますし。

『フランス政府の発表について、静岡県の川勝知事は「放射性物質が検出されたのが本当に静岡県産の茶だったのかというところから、事実関係を急いで調査するよう関係部署に指示した。飲用にする場合、放射性物質は基準値以下になることが県の調査で分かっており、静岡の茶は安全だということを改めて強調したい」と述べました(NHK)』とのこと。
自分のところからはありえない(と思う)、あるとすれば他県産であろう、という狭いグループ意識が垣間見れる発言です。
茶葉のような乾燥して出荷する商品の場合、単位重量あたりの放射線量は高くなってしまうことが想像できます。
野菜のように念入りに洗浄してから検査する事も不可能ですから、そういった意味では同情できる部分もあります。
しかし「安全であることを改めて強調」するそうなのですが、それは先程も述べました。
人間の口から軽々と出せる言葉ではないのでは?

私もよく「思い」ます。
この毛鉤は必ず釣れるはずだ!釣れない訳がない!と。
しかし「真実」は魚だけが知っていて、いくら私が力説しようと虚しいだけ。

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